約2年半、在宅介護をしてきた母との永遠の別れ・・・

2月23日深夜も病室へ残るつもりでしたが

病院の副院長から自宅へ帰るように言われ

担当のケアマネージャーに相談して

病院の指示に従った方がよい!という助言で

自宅へ帰りましたが翌日は仕事を休んで、自宅で待機してました。

今後の母の介護をどのようにすればいいのか?

一人で悩んでました。

ちょうど自宅の掛け時計が午前11時の電子オルゴールが

鳴るか鳴らないか辺りで、何かヘンな胸騒ぎを感じたのを

今でもハッキリ覚えてます!

誰かが呼んでる気がすると・・・。

病院から容体急変の連絡、するとすぐさま

「2月24日午前11時13分に、お母さんが亡くなりました。

処置はこちらでやるので、慌てず事故のないように

ゆっくり病院へ来てください!」という副院長からの電話連絡で

ビックリして病院へ向かいました。

病院へ向かってる最中に、肺炎は回復に向かってる~

今後のリハビリの話も昨日したばかりなのに・・・なぜ???

午前11時13分亡くなった~午前11時あたりに何かしたのか?

呼吸器科の主治医から、副院長に主治医が代わったのはなぜ?

安楽死の判断をするためではないのか?

だから私を見届け人で病室にいられると

邪魔なので自宅へ追い返したのか?

本人は意識があった状態なのになぜ???

いろいろ考えながら病院へ向かいました。

死に化粧している母の所にはすでに妹が到着して、そばで泣いてました・・・

近くにいた看護師は顔をそむけて私と目を合わせようとしません。

安楽死させるところを見ていたのではないか?と思いました。

母の顔を触ると、かなり高熱が出ていたのであろうと

予想できるぐらい温かかったです。

また酸素マスクを着けてた時に、喉が舌で詰まらないように

器具を口の中に入れていたので、そのあとで下唇の左側が

血でにじんで変色してました。

私は母に「お疲れさま、脳出血から約3年よく頑張った・・・

最後の頑張りもすごかった!

だけど肺炎を克服しても、もはや廃人の状態

長くは生きられない、その間つらい思いをするぐらいなら

この方がよかった!」と顔を触りながら声をかけました。

看護師に担当してくださった先生方にお礼を言ってもらうように頼んで

母を病院の遺体安置所へ移動しました。

生きてる時に母に

「この身体だから、いつ亡くなるかわからないので葬式の相談をするけど

葬式は家族葬にするから」と話をしておきましたが

遺体を引き取るのに、家族葬の葬儀屋から

「少しお迎えの時間がかかります」という電話連絡が入り

約2時間病院の遺体安置所で母と妹と過ごしましたが

その間に、在宅介護でお世話になった

ケアマネージャー、各介護サービス業者

介護中の主治医と連絡しましたが

母が亡くなった!という内容の私の電話連絡に

ほとんどが返事なく絶句!

心底、母の容体を心配してくれた方々ばかりだったことを痛感しました。

こういう方々が在宅介護のサポートをしてくれたからこそ

約2年半もの間、母の在宅介護をやってこれた!と思いました。

葬儀屋には直接、葬儀会場へ向かうのではなく

母も家へ帰りたがっていたので

その母の要望を叶えるため、自宅へ運ぶように

葬儀屋へお願いしました。

間違いなく生きて自宅へ帰れると思っていたのに

まさか死んで自宅へ帰るなど想像してませんでした。

軽い脳梗塞で入院したのに、箇所の全く違う肺炎で亡くなるとは。




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