左半身麻痺の身体で介護ベットへ寝る起きる・・・

在宅介護中のリハビリは、過去記事でも書きましたが

私自身が行なう歩行リハビリ、ストレッチ

訪問医療マッサージを週2~3回を

主治医に同意書を書いてもらい無料で利用

その主治医が院長の病院で、リハビリテーション科の理学療法士に

2単位40分のリハビリと

何もしないと、一週間で20%づつ筋力低下を起こし

約4週間で寝たきりへ逆戻りしてしまうため

寝たきりだった母に、上記のリハビリメニューを継続してましたが

自力で立ち上がる、車イスに座る、車イスから介護ベットへ移動

車イスの自走、寝てる時に身体の向きを変えるなどは

リハビリ専門病院を退院2ヶ月半でできるようになりましたが

参考記事はこちら
 ↓  ↓  ↓
在宅介護中のリハビリで寝たきりだった母がどんどん回復・・・

介護ベッドから自力で起きるのは

下記の画像は2015年2月18日撮影ですが



約5ヵ月で、できるようになってます。

それとは逆の介護ベットへ寝ることが、なかなか自力でできず

ようは麻痺の左足を下から右足ですくってクロスさせて

介護ベットへ上げることが、できないのが一番の要因でしたが

室内でしか行なっていなかった歩行リハビリを

屋外での歩行リハビリを行なうと、すぐにできるようなりました。



上記は、2015年5月5日撮影の画像ですが

まさに、この日から屋外での歩行リハビリを行ない

その夜には、初めて自力で介護ベットへ

自分で靴を脱いで寝ることができるようになりました。

いかに室内で歩行リハビリするよりも、屋外の歩行リハビリの方が

効果的であるか!を実感しました。




在宅介護では、うがいにも気を使いました・・・

母は総入れ歯でしたが、在宅介護中は入れ歯は入れ歯洗浄剤を

使用しましたが、口の中の食べカスを取り除くためと

デイサービス、ショートステイ、糖尿病、皮膚科、眼科など

病院への通院で人が集まる場所へ、よく出入りするため

集団風邪、今回は脳梗塞で入院中に

インフルエンザに感染してしまいましたが

そのインフルエンザの感染予防

糖尿病は口の中の歯周病菌との繋がりなどアリ

当初は、薬局で売っているイソジンうがい薬を水で薄めて

風呂場の洗面器を持ってきて使ってましたが

私が毎月一回、歯のクリーニングで行っている

歯茎から膿が出てグラグラな歯周病が重度の状態の左前歯で

二人の歯科医から抜歯!と言われた歯を

見事に抜歯せず、復活させてくれた歯周病の医学博士の院長の

歯科医で勧められた殺菌効果の強い「次亜塩素酸水」を薄めず原液のまま

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母に、うがいをさせてました。

Amazonのレビューを見ると薄めて使ってる人が多いですが

歯周病の医学博士の院長は、原液で使うように勧められてます。

私自身も、もちろん歯周病予防で使用してますが歯のヌメリが

確実取れるので殺菌効果を実感してます。

毎年、インフルエンザの予防接種はしてましたが

名古屋医療センターのインフルエンザの院内感染に巻き込まれたことで

効果がない!とは言いませんが

インフルエンザの感染は完璧には防げません。

名古屋医療センターに入院中は、次亜塩素酸水など使用してません。

ただの水での、うがいだったので次亜塩素酸水だったら・・・と

少し考えてしまいます。




在宅介護で一番の疲労は精神疲労・・・

在宅介護を、脳梗塞で入院するまで2年半行ないましたが

これは在宅介護を行なう前に

済生会リハビリテーション病院のソーシャルワーカーからの助言で

「在宅介護を行なう上で、肉体疲労は休めば取れますが

精神疲労は休んでも取れません・・・

この精神疲労を上手く取り除かないと、イライラで

介護虐待をしてしまうので、この精神疲労と

どう、うまく付き合っていくか?も重要です」という話でしたが

実際、在宅介護を2年半行なって

やはりイライラが半端じゃなかったです!

自分がやりたい事があっても、母を見ていなきゃならないので全くできず

自分が体調が悪くて身体がダルイと思っても

代わってくれる人がいないのでやらざるおえない。

いつまで在宅介護をやらなくてはならないと考えてしまうと今後が不安

またいろんな介護サービスを利用していたので

見ず知らずの他人が家に出入りするのも、かなりのストレスでした。

母に怒鳴ったり、介護ベットへ寝かしたまま食事を食べさせなかったり

トイレへ連れて行かなかったりなど

イライラで、やはりたまにしてしまいました。

やりたい事が一人でできず一番つらいのは、母なんですが・・・

迷惑をかけてる!と一番自覚してたのは母だったので

私の場合は、子供はいませんが母を自分の手のかかる娘と

途中から思うようになり、イライラが緩和していきました。

またショートステイを在宅介護を始めて

1年経過後に、名古屋市の相談窓口で

「このままでは共倒れ!」との助言をされ

利用するようになり、母は行きたがりませんでしたが

息抜きをするようになってから、さらにイライラが緩和していきました。

しかしながら、このショートステイで

脳梗塞をやって帰って来てしまったので、亡くなることはなかった。

もう少し自分に忍耐力、精神力があれば

ショートステイをあまり利用しなかったと思うので

家にいるとホッとする、安心すると家に居たがっていた母には

心の底から申し訳ないことをしたと思います。




オムロン低周波治療器をリハビリで活用・・・

在宅介護でのリハビリは

主に私自身が行なう歩行リハビリやストレッチ

訪問医療マッサージを週2~3回30分行なう

病院のリハビリテーション科の理学療法士に

週2で2単位40分のリハビリ

在宅介護当初は、理学療法士がいるデイケアに行かせてましたが

そのデイケアの理学療法士から

「うちでのリハビリは20分程度なので、回復リハビリを望まれるなら

うちでは設備もないので無理です」と言われて

通院の主治医の病院が、たまたまリハビリテーション科があり

通院し始めて、すぐに理学療法士のリハビリをお願いしました。

他には、週1で半日デイのフィットネスクラブへ1年間行かせたり

自宅で手軽にできる、ほぐしマッサージで

下記のオムロン低周波治療器も活用しました。

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使用当初は、電気の刺激の強弱を最大の強で行なってましたが

マヒしてる左腕や左足がビクビク動きましたが

徐々に本人が痛がるようになってきたので

レベルを2つ落として使用して、マヒの回復の前兆は

「感覚が戻り始める!」と言われていたので

マヒしてる左半身は全く感覚がなくなっていたので

いい傾向かな?と思い、暇を見つけては

左半身マヒの母の左腕、左足の

とくに左腕にオムロン低周波治療器を使用してました。



自宅でできる手軽なマッサージなので、個人的にはお勧めです。




在宅介護中の脳出血からの回復具合・・・

2014年9月下旬に、済生会リハビリテーション病院を退院して

在宅介護をスタートさせましたが

緊急で開頭手術をするぐらい酷い右側の脳出血でしたが

その回復具合で一番感じたのは、排尿です。

2014年12月29日で上記の画像の通り

退院から3ヵ月後でも車イスに座りながら、ジャーとしてました・・・。

しながら本人に聞くと、尿が出てることが分からないと答えます。

頭と身体が一致していない感じ

とくに重度な糖尿病のため、尿が多く

ホントにこれは苦労しました。

また排便も、車イスに長く座ることで腸が圧迫され

慢性便秘に陥ってしまい、在宅介護を始めた頃の往診の主治医に

大量に下剤を服用させられたため

毎朝液状の便が出てしまい処置が大変。

あまりに服用する薬が多く、不審に思い

2015年の年明けから通院に切り替えて

糖尿病専門医を探して代わりますが

糖尿病の治療薬もデタラメな処方で

かなり不要な薬を服用させられてることが判明しました。

このあたりからも脳の回復が遅れた理由かもしれません。

相手が脳をやった年寄りだから

ということで過剰な薬漬けにされた感じです。

往診してくれるからではなく、メンドクサイですが

通院でもいいので、的確ないい先生に巡り合う必要が

在宅介護をする上で重要であると私は考えます。

この糖尿専門医と巡り合ってから、脳がどんどん回復していき

このあたりから、脳と身体が一致し始めて

車イスに座りながら、漏らすことが極端に少なくなりました

というより、ほぼ無くなりました。




訪問医療マッサージを週2~3回ペースで利用・・・

リハビリはマヒした手足を動かすことも大事ですが、ほぐすことも大事。

医療上マッサージを必要とする症状の痛み・浮腫・機能低下などに対して

その改善や機能回復を目的とし、医師の同意の上で行うマッサージ治療が

訪問医療マッサージですが、その訪問医療マッサージは途中から

もちろん無料で利用しました。

在宅介護中の主治医にお願いしたところ、快く同意書を書いてもらい

母の場合は、週3回マッサージをしてもらってましたが

途中から「今の介護のやり方では過労で倒れるので

ショートステイを利用して休憩を取った方がよい!

あなたが倒れたら誰が代わりをやるの?絶対倒れちゃダメだから」

名古屋市の相談窓口で助言され、ショートステイを利用し始めたので

ショートステイを利用中は訪問医療マッサージは利用不可なので

週2回に利用が減ってしまいましたが在宅介護中は利用し続けました。

左半身マヒでしたが、歩行リハビリは在宅介護中は毎日行ない

トイレに行く時は、必ず4点杖を使って私が後ろから介助して歩行

途中から4点杖を使わずに、2足歩行で私が後ろから介助しながら

トイレに行ってましたが、そのため左足が硬直することはなかったですが

酷かったのは、左足首から指先までの浮腫みと肩やヒジなど

カチカチに硬直して手首から指先が浮腫んでいた左腕です。

毎朝起きると、必ずリハビリの本で勉強したストレッチを

左腕、左足に行なってから介護ベッドから起こしてましたが

一生懸命ほぐしのマッサージを行なっても改善せず

左肩のストレッチを取り入れたところ、スッーと手首から指先の浮腫みが消え

リハビリの本もバカにはできないと思いました。

なぜ訪問医療マッサージを最初から利用しなかったか?というと

最初のケアマネージャーが教えなかったからです。

実は私は担当のケアマネージャーを途中で変更してます。

在宅介護スタート直後は、看護師上がりのおばさんのケアマネージャーでしたが

私の要望を全く聞き入れてくれないので

いきいき支援センター(地域包括支援センター)や役所に相談したところ

ケアマネージャーを代えた方がよい!と助言され

かなりご年配の男性のケアマネージャーにお願いしましたが

要望をどんどん聞き入れてくれて、訪問医療マッサージも無料で利用できることも

アドバイスされ、訪問医療マッサージを紹介してもらったわけですが

最初の訪問医療マッサージは、KEiROWという

訪問医療マッサージにお願いしましたが、男性の怠け者に来られてしまい

所定の30分の前にマッサージを切り上げることも

しばしば・・・これはマッサージの施術を受けてる母も気づいてました。

またマッサージの予定時間に来ないなどもあり

看護師の資格を持ってる別の訪問医療マッサージの女性にお願いしましたが

この女性は、ホント一生懸命マッサージをやってくれました。

母の様子がヘン!という話をしたら

実は彼女がマッサージ中に「脳梗塞が潜伏してるかも?」

私に何気に助言してくれたことで脳梗塞の早期発見につながりました。

看護師の資格も伊達ではない!ホント彼女にマッサージをお願いしてよかった!

脳梗塞の退院後も、再びマッサージをお願いするつもりでしたが・・・。

その彼女も母が亡くなった際の電話連絡で絶句!

30分以上は、いろいろ母の話をしました。

ホントいい看護師の資格を持ったマッサージ師でした。




在宅介護中のリハビリで寝たきりだった母がどんどん回復・・・

糖尿病からの合併症で脳出血(病名:右被殻出血)

左半身マヒで自分で立つことすらできず、ほぼ寝たきりと

嚥下障害が残り、トロミ剤1%を入れた物しか

誤嚥の可能性で口にできません。

この状態で、2014年9月下旬から母の在宅介護がスタートしました。

済生会リハビリテーション病院を退院後

劇的に回復していった経緯をここでは掲載したいと思います。

まずリハビリに関しては、私自身も退院予定2ヵ月前あたりから

病院へ通って、歩行リハビリ、言語リハビリなど研修を行ない

書籍を購入したりで、在宅介護中のリハビリに備えました。

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自宅で歩行リハビリを行なうために

福祉用具レンタルから平行棒をレンタルして

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退院後、一週間で自力で立ち上がれるようになりましたが

この段階では左足装具は、ヒザ上までのロングの装具を装着してます。

ここから2014年11月、思い切ってヒザ上までのロングの装具を

ヒザ下のショートの装具に変更し、平行棒を使って歩行リハビリを

行ない続けた結果、左ヒザが折れていたのが

ヒザが折れずに、グッと身体を支えるまでになり

それにより、ヒザ下のショートの装具でも立ち上がれるようになり

自分で車イスに座れるようになり

車イスから介護ベットへの移動もできるようになりました。

上記の画像は、2014年11月19日撮影ですが

ヒザ下のショートの装具でも、しっかりできてます。

また身体の向きを変えるリハビリも行なってましたが

これも2014年11月19日には、できるようになってますが

ただし、ここまでたどり着くのに

毎日2~3時間リハビリを行なっていたので

当初は、私の身体は全身筋肉痛、特に腰痛が酷かったですが

毎日のリハビリで、徐々に母の身体に力が入るようになり

どんどん軽くなっていきました。

2015年5月5日、初めて外での歩行リハビリを

福祉レンタルで借りた4点杖を使って、開始!

また嚥下障害も、トロミ剤1%が年明けには

私と同じ物が食べれるまで回復

下記の画像は、2015年1月元旦に一緒に鍋料理を食べた画像です。

嚥下障害に関しては、二度と普通食は食べれない!と

病院からは言われてましたが、見事に回復しました。

なぜ回復してきたのか?と考えられる要因は

まず年齢が70歳と若かったこと

重度の糖尿病の状態で回復が遅れていた可能性もあり

自宅に帰った安心感、息子の私がリハビリをやってくれてることで

リハビリに取り組む母の気持ち、姿勢が全然違ったからでしょう。

奇跡的な回復が起こり、医療関係者からも驚かれます。

リハビリ専門病院を退院直後の状態から

「酷くなった!悪くなった!」という話はよく耳にするけど

こんな短期間で「治ってきた、回復した」などの話は

ほとんど聞いたことがない!とまで言われました。




糖尿病の合併症が起こった経緯・・・

母の在宅介護で一番気を使ったのが糖尿病の治療でした。

一度、糖尿病の合併症で脳出血を起こして

左半身マヒの身体になってしまったので・・・。

たまたま脳の右側の血管が切れただけで、左側も同じくボロボロのはず

毎日の食事、血糖コントロールなどホントに気を使いました。

母本人は、糖尿病になるぐらいなので食い意地がはって

やたらと食べたがるので。

自宅近所に、たまたま来診で糖尿専門医が来る個人病院があったので

そこでマンツーマンで糖尿病治療を行ない

糖尿専門医からも今の状態を保てば、20年は生きれる!とまで

言われるほどの回復ぶりを見せましたが

その条件として、息子さんが今まで通り血糖コントロールを行なうこと

また食事制限を行なわない施設などは5日以上は入れない

それをやられると、いつ糖尿病の合併症が起こるか?分からない状態に

陥るので命の保証はない!と言われました。

その心配していた糖尿病の合併症も今回起きてしまいました

この原因は、名古屋医療センターの血糖コントロールが

食前で200mg/dL前後と在宅介護をしていた頃の150mg/dL以下より

かなり高めで、炭水化物制限でコメを夕食のみ50gしか

在宅介護中は食べさせなかったのを入院中は3食コメを食べたりで

食後の血糖値も測定していませんが300mg/dLを

軽く超えていたと考えられます。

ちなみに在宅介護中は、炭水化物制限をしていたので

食後2時間後の血糖値は、ほとんどが200mg/dL以下でした。

名古屋医療センターに大ざっぱに

血糖コントロールをやられてしまったことも

要因として挙げられますが、糖尿病の血糖コントロールで

話をしましたが脳の治療が優先で

糖尿病は二の次という主治医の感じでした。

今回、インフルエンザの院内感染で

2月4日深夜に初めて嘔吐、下痢、40度近くの高熱が起こりましたが

微熱が出たり出なかったりを繰り返して

2月9日深夜に2回目の嘔吐、下痢、40度近くの高熱が再び起こり

ここまでは身体の血管が持ちこたえてましたが

ずっと微熱が出たり出なかったりを繰り返して

2月12日に3回目の嘔吐、下痢、40度近くの高熱

腎臓機能に異変!トイレに連れて行くと尿が出ない現象が起こり

2月16日未明に4回目の嘔吐、下痢、40度近くの高熱

両側の脳出血が起こり、両目も飛んだという感じです。

なので2月12日の3回目の嘔吐、下痢、40度近くの高熱が出る前に

名古屋医療センターが、氷枕を脇に挟むだけの処置ではなく

ちゃんとした何らかの処置、対処していれば

糖尿病の合併症が起こらなかった可能性も考えられます。

糖尿病専門医からも、息子さんが今まで通り

血糖コントロールを行なうことが20年生きれる条件と言われてましたが

もう一人、個人病院の皮膚科医の女医からも

「あなたは白衣を着てる人間を全く信用していない

お母さんの主治医はあなたという感じ!

だからお母さんは生きていられる!

あなたが少しでも白衣を着た人間にお母さんを任せると

お母さんは、おそらく亡くなる!」とまで言われてました。

結果は、その通りで最後は廃人状態で亡くなってしまいましたが

なぜ名古屋医療センターが対処しなかったのか?

処置することで、隠ぺいしたインフルエンザの院内感染がバレる恐れや

脳梗塞の後だけに、薬など使いたくなかったのかもしれませんが

看護師にも文句を言いましたが、一人の命がかかっているだけに

しっかりと処置、対処してほしかった。

ホントに腹立たしい病院です名古屋医療センターは・・・。




2月上旬に西館9階病棟でインフルエンザの院内感染が発生・・・

介護中のお世話になってる主治医の指示で救急車で搬送され

名古屋医療センターへ行っただけに

主治医も名古屋医療センターの対応に驚きを隠せませんでした。

熱が上がったり下がったりを繰り返してるのに胃に菌!?

胃に菌!?向こうの医者がそう言ったの?

ハッ~という表情を浮かべてました。

亡くなった母の顔を見ながら

どこでどう歯車が狂ったのか?もう一度思い返してました。

昨年12月23日に、4泊5日のショートステイから帰宅後

様子がヘンだったので、要警戒してましたが

12月27日、朝食が一切食べれず

「あ・い・う・え・お」と言わせると、ろれつが回らず

脳梗塞ではないか?しかも左脳!と思い、介護中の主治医へ連れて行くと

脳梗塞の可能性が高い!ということ救急車を呼んでもらい

名古屋医療センターで脳検査の結果「アテローム血栓症脳梗塞」と診断

集中治療室で点滴治療を行ない、翌日には一般病棟へ移動

年明けに、担当のケアマネージャーが見舞いに訪れた際

「現時点でお母さんが、この状態であれば今回の脳梗塞は

よかったね軽症の軽症!言葉もしっかり喋れるし・・・」という話でした

1月6日から車イスに座るリハビリも開始され、順調に回復

ただし嚥下障害が残っていたので、普通食は食べれず

今後、食べれるように回復するでしょう!という言語聴覚士の話でした。

1月中旬に、現在の病状説明、リハビリ専門病院への移転の面談が

主治医とケースワーカーとでありましたが

「済生会リハビリテーション病院」「鵜飼リハビリテーション病院」と

相次いで受け入れ拒否をされてしまい

「済衆館リハビリテーション病院」に変更も

なかなか受け入れの連絡が来ず、これにより退院が遅れてしまい

インフルエンザの院内感染に巻き込まれてしまったわけですが

私も無念ですが、一番無念なのはやはり亡くなった母です。

名古屋医療センター入院中、不自然にマスクを

着けさせられてる母の画像ですが、このマスク着用でも

お腹が炎症?胃に菌なのか?と思います。

熱が上がったり下がったりを繰り返してるので

看護師に「このまま放置すれば死んじゃうぞ!」と

文句を言っても、検査でインフルエンザじゃない!と

言って何の処置もしない・・・。

どんどん右肺に水が溜まり出し、胸が苦しいと母は訴えなかったので

度重なる高熱、微熱で感覚が

マヒしていたのでないか?と思います。

その後、2月14日にリハビリ専門病院へ移転も、わずか3日で容体急変

2月21日、病状がどんどん悪化する一方なので早ければ今晩、深夜

亡くなります!と済衆館病院の呼吸器科の主治医から言われましたが

もはや肺炎が起こる前の40度近い高熱で

ジワリジワリと起きていた糖尿病の合併症で

腎機能障害から尿が出ず、顔や身体が別人のように浮腫み

両側の脳出血で目も見えない全身マヒの廃人状態にもかかわらず

呼吸も止まらず、心臓も止まらずで主治医も驚くほどの生命力を発揮。

そばにいて、必死で呼吸してる母はすごい頑張りでした。

それから24日午前11時13分、息を引き取るまで

飲まず食わず、おそらくまともに寝てもいなかったと思いますが

母は、家へ帰りたい一心で廃人状態でも肺炎と闘い続けたわけです。

私自身、ホントに母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

苦しい思いをさせて・・・。

また右肺に水が溜まり出し、死にかけてる母を何も知らず受け入れた

「済衆館リハビリテーション病院」も

さぞかし迷惑だっただろうと思います。

最後は、安楽死なのか?自分で息を引き取ったのか?私は分かりませんが

一番悔いが残るのは、名古屋医療センターで

インフルエンザを発症してから、熱が上がったり下がったりを繰り返し

身体に異常があるにもかかわらず、適切な処置をせず

本来、人命第一のはずの病院が立場や今後を考えて隠ぺいするという

腹立たしい対応をされたことです。

医療関係者に、その時の病状を説明すると

全員がインフルエンザに間違いなく感染してる!という回答。

ここで2月上旬にインフルエンザの院内感染が起こった

名古屋医療センター脳神経内科西館9階病棟

同じく入院されてた方の中にも、ご年配が多い病棟だったので

母と同じように肺炎で亡くなった方がいるのではないか?と思い

このブログ上で公開しました。

インフルエンザの院内感染は

好きで誰も移さないので責めても仕方がないにしても

その後の対応があまりにもヒドイ!

携わっていた看護師などスタッフの中にも、放置すれば

亡くなるかもしれないと、薄々分かっていた看護師やスタッフもいたと思います。

ホント許せない病院です名古屋医療センターは・・・。




母との最後の自宅でのひととき・・・

家族葬の葬儀屋にお願いして、母の遺体を病院から

自宅へ連れ帰り、遺体が傷まないようにドライアイスで保管

もちろん家族葬の当初の葬儀プラン料金には入っていないので

全て別料金で追加料金でしたが、母の強い要望だったので

3日後に葬儀を行なうことで、葬儀ホールの予約をしてもらい

マル2日間、最後に母と一緒に自宅で過ごしました。

「なぜ?死んで帰ってきた!生きて帰ってこい!

入院中さんざん家に帰りたがっていた、その家に今帰ってきたぞ!

このまま目を覚まさないと火葬場で焼かれてしまうから目を覚ませ!」

母に必死で呼びかけてる自分がいました。

近所には、町内会長にお願いして

亡くなったことを回覧板で回してもらい

「今回は家族葬での葬儀のため参列はご遠慮願います」という内容でしたが

続々と生前、母と交流があった近所の方々や

ケアマネージャー、介護サービス業者の担当者が

最後のお別れに自宅へ来て下さいました。

亡くなった経緯を一人一人に説明して

みなさん名古屋医療センターの酷い対応に怒りを覚えてました。

「ただ息子さんが一生懸命に面倒を見てくれたから満足そうな顔してる

キレイな顔で眠ってる感じ」と、近所のみなさんが口を揃えます。

今回、初めて家族葬にしましたが

母の顔を見ながら、一人一人ゆっくりと話ができ

家族葬でよかったとつくづく思いました。



夜、母の顔を見ながら、ここで過ごした日々

脳出血からの左半身マヒで車イスで過ごした約2年半

今回の軽い脳梗塞から、なぜ肺炎で死ななくてはならなかったのか?

など思い返していました。