あれから1年が経過しました・・・

このサイトの更新が止まってましたが

早いもので母が亡くなって一年が経過しようとしています。

先週日曜日に、母の一周忌を行ないましたが

今日2月21日は、まさに一年前

病状がどんどん悪化して歯止めがかからず

医師から「早ければ今日お母さんは亡くなります。

危ないのは夜、深夜の時間帯」という説明を受け

病院から特別に許可され

深夜も四六時中ベッドの上で肺炎と闘う母の

そばでそれを見守り続けました。

なぜ?こんな事になるんだ!と頭の中は混乱してました。

どんな形でもいいから生きてくれ!死ぬところなど見たくない!

必死で呼吸が止まらないように母に呼びかけてた記憶もあります。

いまだに軽い脳梗塞で入院したはずが

なぜ?肺炎で亡くなるんだ!という名古屋医療センターの不手際に怒りを覚えます。




2月上旬に西館9階病棟でインフルエンザの院内感染が発生・・・

介護中のお世話になってる主治医の指示で救急車で搬送され

名古屋医療センターへ行っただけに

主治医も名古屋医療センターの対応に驚きを隠せませんでした。

熱が上がったり下がったりを繰り返してるのに胃に菌!?

胃に菌!?向こうの医者がそう言ったの?

ハッ~という表情を浮かべてました。

亡くなった母の顔を見ながら

どこでどう歯車が狂ったのか?もう一度思い返してました。

昨年12月23日に、4泊5日のショートステイから帰宅後

様子がヘンだったので、要警戒してましたが

12月27日、朝食が一切食べれず

「あ・い・う・え・お」と言わせると、ろれつが回らず

脳梗塞ではないか?しかも左脳!と思い、介護中の主治医へ連れて行くと

脳梗塞の可能性が高い!ということ救急車を呼んでもらい

名古屋医療センターで脳検査の結果「アテローム血栓症脳梗塞」と診断

集中治療室で点滴治療を行ない、翌日には一般病棟へ移動

年明けに、担当のケアマネージャーが見舞いに訪れた際

「現時点でお母さんが、この状態であれば今回の脳梗塞は

よかったね軽症の軽症!言葉もしっかり喋れるし・・・」という話でした

1月6日から車イスに座るリハビリも開始され、順調に回復

ただし嚥下障害が残っていたので、普通食は食べれず

今後、食べれるように回復するでしょう!という言語聴覚士の話でした。

1月中旬に、現在の病状説明、リハビリ専門病院への移転の面談が

主治医とケースワーカーとでありましたが

「済生会リハビリテーション病院」「鵜飼リハビリテーション病院」と

相次いで受け入れ拒否をされてしまい

「済衆館リハビリテーション病院」に変更も

なかなか受け入れの連絡が来ず、これにより退院が遅れてしまい

インフルエンザの院内感染に巻き込まれてしまったわけですが

私も無念ですが、一番無念なのはやはり亡くなった母です。

名古屋医療センター入院中、不自然にマスクを

着けさせられてる母の画像ですが、このマスク着用でも

お腹が炎症?胃に菌なのか?と思います。

熱が上がったり下がったりを繰り返してるので

看護師に「このまま放置すれば死んじゃうぞ!」と

文句を言っても、検査でインフルエンザじゃない!と

言って何の処置もしない・・・。

どんどん右肺に水が溜まり出し、胸が苦しいと母は訴えなかったので

度重なる高熱、微熱で感覚が

マヒしていたのでないか?と思います。

その後、2月14日にリハビリ専門病院へ移転も、わずか3日で容体急変

2月21日、病状がどんどん悪化する一方なので早ければ今晩、深夜

亡くなります!と済衆館病院の呼吸器科の主治医から言われましたが

もはや肺炎が起こる前の40度近い高熱で

ジワリジワリと起きていた糖尿病の合併症で

腎機能障害から尿が出ず、顔や身体が別人のように浮腫み

両側の脳出血で目も見えない全身マヒの廃人状態にもかかわらず

呼吸も止まらず、心臓も止まらずで主治医も驚くほどの生命力を発揮。

そばにいて、必死で呼吸してる母はすごい頑張りでした。

それから24日午前11時13分、息を引き取るまで

飲まず食わず、おそらくまともに寝てもいなかったと思いますが

母は、家へ帰りたい一心で廃人状態でも肺炎と闘い続けたわけです。

私自身、ホントに母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

苦しい思いをさせて・・・。

また右肺に水が溜まり出し、死にかけてる母を何も知らず受け入れた

「済衆館リハビリテーション病院」も

さぞかし迷惑だっただろうと思います。

最後は、安楽死なのか?自分で息を引き取ったのか?私は分かりませんが

一番悔いが残るのは、名古屋医療センターで

インフルエンザを発症してから、熱が上がったり下がったりを繰り返し

身体に異常があるにもかかわらず、適切な処置をせず

本来、人命第一のはずの病院が立場や今後を考えて隠ぺいするという

腹立たしい対応をされたことです。

医療関係者に、その時の病状を説明すると

全員がインフルエンザに間違いなく感染してる!という回答。

ここで2月上旬にインフルエンザの院内感染が起こった

名古屋医療センター脳神経内科西館9階病棟

同じく入院されてた方の中にも、ご年配が多い病棟だったので

母と同じように肺炎で亡くなった方がいるのではないか?と思い

このブログ上で公開しました。

インフルエンザの院内感染は

好きで誰も移さないので責めても仕方がないにしても

その後の対応があまりにもヒドイ!

携わっていた看護師などスタッフの中にも、放置すれば

亡くなるかもしれないと、薄々分かっていた看護師やスタッフもいたと思います。

ホント許せない病院です名古屋医療センターは・・・。




母との最後の自宅でのひととき・・・

家族葬の葬儀屋にお願いして、母の遺体を病院から

自宅へ連れ帰り、遺体が傷まないようにドライアイスで保管

もちろん家族葬の当初の葬儀プラン料金には入っていないので

全て別料金で追加料金でしたが、母の強い要望だったので

3日後に葬儀を行なうことで、葬儀ホールの予約をしてもらい

マル2日間、最後に母と一緒に自宅で過ごしました。

「なぜ?死んで帰ってきた!生きて帰ってこい!

入院中さんざん家に帰りたがっていた、その家に今帰ってきたぞ!

このまま目を覚まさないと火葬場で焼かれてしまうから目を覚ませ!」

母に必死で呼びかけてる自分がいました。

近所には、町内会長にお願いして

亡くなったことを回覧板で回してもらい

「今回は家族葬での葬儀のため参列はご遠慮願います」という内容でしたが

続々と生前、母と交流があった近所の方々や

ケアマネージャー、介護サービス業者の担当者が

最後のお別れに自宅へ来て下さいました。

亡くなった経緯を一人一人に説明して

みなさん名古屋医療センターの酷い対応に怒りを覚えてました。

「ただ息子さんが一生懸命に面倒を見てくれたから満足そうな顔してる

キレイな顔で眠ってる感じ」と、近所のみなさんが口を揃えます。

今回、初めて家族葬にしましたが

母の顔を見ながら、一人一人ゆっくりと話ができ

家族葬でよかったとつくづく思いました。



夜、母の顔を見ながら、ここで過ごした日々

脳出血からの左半身マヒで車イスで過ごした約2年半

今回の軽い脳梗塞から、なぜ肺炎で死ななくてはならなかったのか?

など思い返していました。




約2年半、在宅介護をしてきた母との永遠の別れ・・・

2月23日深夜も病室へ残るつもりでしたが

病院の副院長から自宅へ帰るように言われ

担当のケアマネージャーに相談して

病院の指示に従った方がよい!という助言で

自宅へ帰りましたが翌日は仕事を休んで、自宅で待機してました。

今後の母の介護をどのようにすればいいのか?

一人で悩んでました。

ちょうど自宅の掛け時計が午前11時の電子オルゴールが

鳴るか鳴らないか辺りで、何かヘンな胸騒ぎを感じたのを

今でもハッキリ覚えてます!

誰かが呼んでる気がすると・・・。

病院から容体急変の連絡、するとすぐさま

「2月24日午前11時13分に、お母さんが亡くなりました。

処置はこちらでやるので、慌てず事故のないように

ゆっくり病院へ来てください!」という副院長からの電話連絡で

ビックリして病院へ向かいました。

病院へ向かってる最中に、肺炎は回復に向かってる~

今後のリハビリの話も昨日したばかりなのに・・・なぜ???

午前11時13分亡くなった~午前11時あたりに何かしたのか?

呼吸器科の主治医から、副院長に主治医が代わったのはなぜ?

安楽死の判断をするためではないのか?

だから私を見届け人で病室にいられると

邪魔なので自宅へ追い返したのか?

本人は意識があった状態なのになぜ???

いろいろ考えながら病院へ向かいました。

死に化粧している母の所にはすでに妹が到着して、そばで泣いてました・・・

近くにいた看護師は顔をそむけて私と目を合わせようとしません。

安楽死させるところを見ていたのではないか?と思いました。

母の顔を触ると、かなり高熱が出ていたのであろうと

予想できるぐらい温かかったです。

また酸素マスクを着けてた時に、喉が舌で詰まらないように

器具を口の中に入れていたので、そのあとで下唇の左側が

血でにじんで変色してました。

私は母に「お疲れさま、脳出血から約3年よく頑張った・・・

最後の頑張りもすごかった!

だけど肺炎を克服しても、もはや廃人の状態

長くは生きられない、その間つらい思いをするぐらいなら

この方がよかった!」と顔を触りながら声をかけました。

看護師に担当してくださった先生方にお礼を言ってもらうように頼んで

母を病院の遺体安置所へ移動しました。

生きてる時に母に

「この身体だから、いつ亡くなるかわからないので葬式の相談をするけど

葬式は家族葬にするから」と話をしておきましたが

遺体を引き取るのに、家族葬の葬儀屋から

「少しお迎えの時間がかかります」という電話連絡が入り

約2時間病院の遺体安置所で母と妹と過ごしましたが

その間に、在宅介護でお世話になった

ケアマネージャー、各介護サービス業者

介護中の主治医と連絡しましたが

母が亡くなった!という内容の私の電話連絡に

ほとんどが返事なく絶句!

心底、母の容体を心配してくれた方々ばかりだったことを痛感しました。

こういう方々が在宅介護のサポートをしてくれたからこそ

約2年半もの間、母の在宅介護をやってこれた!と思いました。

葬儀屋には直接、葬儀会場へ向かうのではなく

母も家へ帰りたがっていたので

その母の要望を叶えるため、自宅へ運ぶように

葬儀屋へお願いしました。

間違いなく生きて自宅へ帰れると思っていたのに

まさか死んで自宅へ帰るなど想像してませんでした。

軽い脳梗塞で入院したのに、箇所の全く違う肺炎で亡くなるとは。




突然ですが母が2月24日に亡くなりました・・・

昨年4月から介護や疲労から更新してませんでしたが

今回、左半身マヒの母が亡くなったことを

報告するため更新しました。

なぜ?このような結果になってしまったのか?

亡くなってから2週間経過した今でも不思議でなりません。

入院した病院の対応のマズさが死へ繋がったと思いますが

母の月の介護プランの担当をお願いしてるケアマネジャーいわく

「世の中には、良い医者もいれば悪い医者もいる~

今回はまさに悪い医者に当たってしまった!」と

眠るように亡くなるならともかく

あまりに最後の死が残酷だったので

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2年以上在宅介護を続けて、いつかは来る!と覚悟はできてましたが

あまりに最後は想像してない残酷な結果でした。