済衆館リハビリテーション病院について・・・

2016年12月27日、軽い脳梗塞で名古屋医療センターに入院

そのあとのリハビリで、以前の脳出血のあとのリハビリで入院した際

私と揉めたりなど、いろいろあったため

済生会リハビリテーション病院に受け入れ拒否され

続いて、全く関わったことのない

鵜飼リハビリテーション病院にまで

「誰でも受け入れる済生会が断る!ということは何かある!」

思われてしまい、ここでも受け入れ拒否されてしまい

こんなことでいいの?リハビリ専門病院は?と怒りを覚えました。

1月半ばに、担当のケースワーカーに

北名古屋市にある「済衆館リハビリテーション病院」を

「自宅から近いから今回選んだ!」という理由で、お願いしましたが

なかなか受け入れの連絡が来ず、おかしいな・・・と思ってましたが

その連絡が2月上旬にやっと来て、これで名古屋医療センターを

退院後のリハビリ専門病院が決まりました。

2月14日朝、初めて済衆館リハビリテーション病院へ

車の後部座席に乗せ、母を連れて行きましたが

まず受けた印象は、病院がかなりキレイ!

いかにもできたばかりでは?と思わせるほど

キレイなリハビリ専門病院でした。

早速、病室へ案内されましたが

病室には空きのベッドもチラホラとあったので、オヤッと思いましたが

病院内を見て歩くと、なぜ?受け入れ連絡が遅れたりしたのか?

ここでようやく分かりました。

済生会リハビリテーション病院に比べ

あきらかに看護師など全てのスタッフが少ない!

最小人数でやってるのでは?と思うほどです。

このあたりを担当のケアマネージャーに話すと

最低の人数さえいれば国が許可してるので

おそらく最低人数に近いのでは?と

田舎で交通の便も街中に比べれば悪いので

人が集まらないのかな?と余計なお世話なことも考えてましたが

万が一ここで、もし何かあれば人がいなさ過ぎて

手遅れになるのでは?とハッキリ言って心配になりましたが

結果的には、その心配な通り入院中にも関わらず

肺炎の前に起こった糖尿病の合併症からの両側の脳出血に

看護師以下すべてのスタッフが全く気づかなかったり

また肺炎が起こった際、酸素マスクをつけるのが遅れて

隣に移した総合病院の済衆館病院の副院長いわく

「脳の酸欠が起きてるのでないか?」と言われましたが

あの顔や身体のケイレンなどはそうではないか?と

済衆館リハビリテーション病院の主治医は慌ててましたが

担当のケアマネジャーと話して

脳の酸欠の可能性が高い!と私は疑ってます。

人がいなさ過ぎて酸素マスクをつける処置が遅れて

脳の酸欠までも引き起こしたということです。

肝心のリハビリに関しては、入院3日目にその糖尿病の合併症、肺炎で

母はリハビリ自体は、ここではまともにやってないので

リハビリ内容など全く分かりません。

ただ、この済衆館リハビリテーション病院へ

死にに来ただけ・・・だったので。




在宅介護を継続するか?揺れ動く気持ち・・・

母は、脳梗塞での入院当初から

「早く家に帰りたい!

いつまでここに居なきゃならない

こんな所にいつまでも居たくない

家に帰ったらダメか?」と早く家に連れて帰ってくれと

見舞いに行くと、よく駄々をこねられてましたが

あの廃人みたいな状態でも在宅介護するか?

また在宅介護できるのか?と本気で私は悩んでました。

担当のケアマネージャーに母の状態を説明して

「その状態であれば今後リハビリでも回復の見込みがない

世の中には良い医者もいれば、悪い医者もいる

まさに今回は悪い医者に当たってしまった

年明けに名古屋医療センターへ見舞いに行った時は全然お元気で

しっかり会話もできて脳梗塞も軽症だったはずなのに

まさかこんな事態になるとは・・・

おそらく半年はリハビリ専門病院へ入院できるので

その時の、お母さんの状態で今後どうするのか?

決めて行きましょう」と話をされ

利用中の福祉用具レンタルの担当者、訪問医療マッサージの人へ

ひょっとしたら完全寝たきりで意思疎通もできない

食事も口から食べれない点滴の状態でも

在宅介護してる親族の人達は要るのか?尋ねてみましたが

福祉用具レンタルの担当者で現状お客さんで5人いる。

訪問医療マッサージの人で3人いるとの回答でした。

ただ福祉用具レンタルの担当者から

「高熱が出たり微熱が出てるのに

肺を疑わずに胃に菌!?その話を最初に聞いた時

なぜ肺を疑わない?と思ってました。

もっとも医者が言うので、私が話すことではないので

レンタル品の話で連絡を貰った時に言わなかったですが・・・

もっと早く適切な処置をしてれば

こんな事はなかったのでは?病院の対応があきらかにおかしい

完全寝たきりの人の介護は、当たり前ですけど大変だし

何よりも見ててつらい。

治る見込みが全くないので夢も希望もない・・・。

今まで息子さん、お母さんの在宅介護は治る見込みがあると

思ったから二年半やってこれたのが

今度は治る見込みがない!と分かってて

さらに世話が大変になっても今まで通り

在宅介護できるのか?という話です」と助言されました。

看護師の資格を持ってる訪問医療マッサージの女性も

「その状態であればリハビリしても治る見込みがないです」

福祉用具レンタルの担当者と同意見でした。

ずっと一緒に生活してきた母なので

自宅で、そばに置いてやりたり気持ちと

いやいや、そんな廃人状態の母を家に引き取ってしまったら

エライ事になる!と思ったりと、心の中で在宅介護を継続するのか?

揺れ動いてました。




なぜか?副院長が主治医・・・

窓の外が明るくなってきました。

朝です、母は亡くなることなく持ちこたえました!

様子を見に医師が来ました。

なぜか?昨日の呼吸器科の主治医ではなく副院長!

2月22日も日中は妹、深夜は私が付き添いましたが

母は亡くなることなく無事に乗り越えました。

しかしながら副院長いわく「ふつうなら目を覚ましてもいいのに

目を覚まさない・・・脳の酸欠が起きたのでないか?」という話をしてきました。

そのことを担当のケアマネージャーに尋ねてみると

    顔がケイレンなどの症状を聞くとおそらく脳の酸欠ではないか!?

それだと、ほぼ回復するのは困難で難しい

いわゆる肺炎で酸素マスクをつけるのが遅れた!ということですが

翌日、それを聞いて慌てたリハビリ専門病院の主治医が

脳のMRI検査をして、両側が脳出血してることを説明してきました。

原因は脳出血ということです。

「いつ脳出血したのか?分からない」という話でしたが

私はおそらく2月15日~16日の未明

嘔吐、下痢、40度近くの高熱が

出た時に起こったのではないか?と話をしましたが

私個人の考えは、脳出血プラス脳の酸欠だと思ってます。

ただ肺炎に関しては、右肺に溜まっていた水は半分以上抜けたので

生命の危機は脱したので、今後のリハビリの打ち合わせをしましたが

しかしながら母の状態は、もはや廃人状態!

全身マヒに目も見えてない廃人状態で何のリハビリを行なうのか?

リハビリ専門病院の主治医が

「2ヵ月時間を下さい!そこで方向が見えてくるので・・・」という説明でしたが

二年半、母の在宅介護を行なってきた私からすれば

これだけヒドイ状態は過去、見たことがないので

とても、この状態から回復するなど可能性は極めて低い!

下手をすれば、口から物が食べれず

点滴で生きていくという形ではないのか?とも話をしました。

そうなれば在宅介護は困難で

介護療養型医療施設へ入れなくてはならないのではないか?

以前、脳出血(右被殻出血)で

済生会リハビリテーション病院といろいろな話をした

経験があることも話しましたが

「そこまで過去に話をされたことがあるんですね・・・」と驚いてましたが

とりあえず、そのあたりは担当のケアマネージャーに相談して

病院に任せることにしましたが、気になったのは

呼吸器科の主治医から副院長に代わったことです!

まさか安楽死の判断をするための副院長ではないのか?と疑ってました。

その副院長から、3日間連続で深夜、病院へ残った人は

私が知る限りでは、たった一人!

いわゆる家へ帰れ!と遠回しで行ってきました。

嫌な予感がしましたが、担当のケアマネージャーに相談すると

病院の言うことを聞いた方がよい!という助言だったので

言われた通り3日目は病院へ残らず帰宅することにしました。

意識のある母なので、母には今晩は病院へは残らないことを話して

舌が喉につまらないように器具を口の中に入れられてましたが

それが外れて喋れる状態だったので、母にこう話しました。

「オレはこれから家へ帰るけど

何なら一緒に家へ帰るか?答えてみろ」

すると母は「帰る!帰る!帰る!」とろれつは回ってなかったですが

3回「帰る」と聞こえました!

見えない両目の右目からは涙が溢れてます。

喋れないことはない喋れるかも・・・と期待を持たせる返事でしたが

これが母との最後の会話でした。

「しっかり呼吸して、息だけは止めるな!」

母に声をかけて帰宅しましたが下記の画像はその時の母です。

目から下や身体全体の浮腫みは取れず

目は黒塗りしてますが

まぶたは右目は開いて左目はたまに開きますが

右に寄ったままだった瞳は多少真ん中へ

動きますが、すぐに右へ戻ってしまう状態で

顔のケイレンも起きてます。




今晩、命が危ないと言われた深夜の病室で・・・

担当の夜勤の看護師に聞くと

「この病室は、あの世へ旅立つ人の病室です」と説明され

この病室を出る時は、亡くなってから~という意味なのか?

なぜ?こんなことになるんだ!

もう頭の中がグチャグチャ

下記の画像は、酸素マスクをつけ心拍数、血圧などのモニターが

設置されている深夜2時頃の母の様子で必死で呼吸してます。

2月3日までは順調に回復して「今回の脳梗塞は早期発見もあり

後遺症は右手が多少しびれを感じるかも・・・程度です」と説明され

安心していたのもつかの間、まさかのインフルエンザの院内感染!

しかもリハビリ担当の言語聴覚士ということで

言語リハビリなのでマスクはもちろん着けてなく

もろにインフルエンザのウィルスを浴びていたので感染リスクが高い!

名古屋医療センターの主治医に、そう説明されましたが

インフルエンザの検査は陰性で、お腹が炎症!胃に菌!という

訳の分からない説明で、対処は氷枕を脇に挟む程度で

放置され、リハビリ専門病院に移転して一週間もしない間に

こんな状態・・・納得しろ!という方が無理。

済衆館病院の夜勤の看護師に聞いてみると「その症状であれば

間違いなくインフルエンザに感染してます!」

さらに話をこう付け加えました。

「インフルエンザに感染したとしても助かる人は助かります

助からないのは、お母さんの運命であり寿命です

それを受け入れてください!息子さん

頭の中が整理できてません!頭の中を整理してください!」

頭の中を整理と言われても、母の苦しんでる姿を

目の当たりにして、整理できるわけもなく

ただ死ぬところは見たくない!

どんな状態であれ助かってくれ!と願うばかりで

ひたすら心拍数、血圧、酸素濃度のモニターを見てました。

話しかけても母が全くの無反応なので

意識があるのか?どうかも分からず、この状態でも確認する方法は

そう呼吸!呼吸だけはしてるので

「オレの声が聞こえるなら、深呼吸をして教えてくれ!」

母の耳元で話しかけると、しました深呼吸を2回

意識があって耳が聞こえてることは確認できました。

母に、名古屋医療センターで入院中に

インフルエンザに院内感染したことやそれを隠ぺいされたこと

現在の病状を説明しましたが、脳をやった可能性が高い!

だから身体が動かないことや

両目が失明したかもしれないことも説明に付け加えました。

まぶたは右目は開いて左目はたまに開きましたが

瞳はずっと右に寄ったまま動かなかったのが

真ん中へ来たと思ったら

すぐ右へ寄ってしまいますが動いてました。

その見えてない両目の右目からは涙が溢れてます。

「なぜ?こんな目に合わなくてはならない・・・」

母は私に訴えてるように感じました。

あとから糖尿病の合併症から両側の脳出血が判明します。

点滴を打って肺の水を抜いてますが、なかなか尿で出てきません。

今考えると、糖尿病の合併症で腎機能に異変が起こってるので出るわけもないですが

母には、あとのことは何も考えるな!息だけ息だけ絶対に止めるな!

息だけしとけ!と言い続けました。




肺炎がどんどん悪化・・・

2月21日に主治医から電話連絡で

リハビリ専門病院から隣りの総合病院へ移した連絡がアリ!

夕方前に、病院へ出向くと

酸素マスクをつけ、目の下まで浮腫んだ顔の

変わり果てた母の姿に絶句

顔のケイレンも起きてます。

呼吸器科の主治医から病状の説明がありましたが

「2月上旬ぐらいに高熱を出したことがありますか?」と尋ねられて

名古屋医療センターに入院中、インフルエンザの院内感染に

巻き込まれて40度近い高熱が出てます!と答えると

「肺に水が溜まり出したのがその高熱が原因」

リハビリ専門病院の主治医と同じ説明です。

「脳よりも命を優先させるため肺の水を抜くため

もっと強い点滴を打ってますが、お母さんは心臓が強い

亡くなっていても不思議じゃない状態ですが心臓が止まらない

しかしながら、どんどん病状が悪化する一方なので

覚悟してください!一番危ないのは今日の夜

あるいは深夜に呼吸が止まる可能性が高い」という説明までもされました。

呼吸が止まっても人工呼吸器はつけないことで

私は呼吸器科の主治医に話をしましたが

呼吸器科の主治医から「息子さん、これから病院へ残れますか?」と尋ねられ

「お母さんをあの世へ送ってあげてください。見届けてあげてください。

面会時間外ですが特別に病院が許可します。」

ということで病院から布団をレンタルして

母のそばでおくりびと、見届け人として病院に残りました。




済衆館リハビリテーション病院に移転3日目で容体急変・・・

名古屋医療センターを退院して、今度は自宅へ帰るための

リハビリを行なうため、済衆館リハビリテーション病院へ移転しましたが

今回、私は一切リハビリは見ない!

すべて妹に任せるつもりでいたので、移転2日目は

妹一人で見舞いに行って、電話で母と話したのみで私は会ってません。

身体がやけに左へ傾くのを、担当の理学療法士も気づいて

「背もたれの高い車イスを使用します!」という話をされたみたいですが

なぜ?そうしたのか?の理由ですが

以前の済生会リハビリテーション病院で、リハビリなど

どんどん口を挟んでしまい、今回受け入れ拒否されたので

ここでも口を挟んでしまうので

私はリハビリ専門病院へは出向かない!と決めてました・・・。

移転3日目も妹一人が見舞いに行きましたが

昨日の深夜に再び嘔吐、下痢、発熱が起きたらしく

「何か様子がヘン?喋りかけても反応がないし首から下が異常な浮腫み」と

妹が連絡して来ました。

翌日2月18日、リハビリ専門病院にいる限り

見舞いには行かないつもりでしたが

気になったので行ってみると、アゴから下が異常な浮腫み。

喋りかけても、返事が返ってきません・・・。

右手右足が動いてますが、目は閉じたままです。

まぶたを指で無理やり開いて、眼球を見ると

瞳は動いて見えてる感じで、熱があったりなかったりです。

しかし顔を見る限り、死相が出てる~

これから死にます!という顔に感じました。

担当の看護師が誤嚥、つまり食べた物を肺に流して

発熱させたと思い、私に平謝りしてきました。

しかしながら名古屋医療センターからの報告書では

微熱が出ると報告してあるだけで

入院中に、名古屋医療センターは認めませんが

インフルエンザに院内感染した疑いが濃厚!

症状など説明すると、間違いなくインフルエンザに感染した!と

済衆館リハビリテーション病院の担当スタッフ全てが納得しました。

あいにく土曜日で主治医が休みということも、運がなかったです。

対応が遅れてしまったので・・・。

翌日2月19日には、ついに右手右足も動かなくなってました。

まぶたを指で無理やり開いて、眼球を見ると

右に瞳が寄ったまま動きません。

熱があったりなかったりです。

月曜日に肺の検査をすると

肺炎で右肺に三分の一水が溜まってることが分かりました。

症状は突然出る!おそらく2月上旬あたりから

右肺に水が溜まり出したのでないか?と

主治医の説明でしたが、ちょうどインフルエンザを初めて発症した時期。

すぐさま肺の水を抜く点滴を開始しましたが

「もし病状が回復しないようであれば、ここはリハビリ専門病院で

機材などないので、隣りの総合病院へ移します」という主治医の説明で

その判断は全て任せることにしました。

右肺に水が溜まっていたので、身体が左へ傾いたのか!と

ここで初めて、座らせてたりすると身体が

やけに左に傾く理由が分かりました。

この異常な浮腫みは、3回目の嘔吐、下痢、40度近くの高熱から

尿の出が悪くなってることは私自身、トイレに連れて行って気づいていたので

おそらく糖尿病の合併症から腎機能に異変が起こって尿が出なくなったのと

4回目の嘔吐、下痢、40度近い高熱で

これまた糖尿病の合併症から脳出血を起こしていたことも

私自身、あとから気づきましたが

ここから一気に母が死に向かって行ってしまいます。

2月20日の母の様子ですが、嘔吐もかなりある状態で

ピクリとも動きません。

熱があったりなかったりです